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今年も残すところあと...もう新年!?

えぇ~何?何ですか?今はすでに2017年ですと?...ちゃんちゃらおかしい!おかしすぎ!大人をからかっちゃいかんぜよ?(←坂本竜馬!?)

...しかし!カレンダーを見ても!2017年!時計を見ても!2017年!?ぐっわあああああああ~!参った!降参!お前には負けたよ2017年め!

と、今年も謎テンションフルスロットルのワタクシですが、挨拶はちゃんとしますよ!一年の計は元旦にあり...ヨ~ッ!

☆☆☆☆☆あけましておめでとうございます☆☆☆☆☆






うまいこと元旦に書いた記事であると騙せたところで本題にいきます。


当然のことにふと疑問を持つという経験があるかと思います。
なぜ心臓は勝手に動くのか?なぜ色は見えるのか?なぜAmazonは買ってない人でもレビューができるのか?

大抵のことは頭が良い人がとっくに解明して広めてくれているので、我々はキーボードをタタンと弾くなり本をヅヅンと買うなりすれば知識として吸収できます。


でも...誰も解明していないことに疑問を持った時は話が別。
自分の生きる時代でその理由を知るためには自分からその解明に取り組む必要がある。

たとえば物が落ちることに疑問を持ち、見事解明したのは説明するまでもなくニュートン。
しかしニュートンが解明するまでに死んだ人たちの中にだって物が落ちることに疑問を持った人がいくらでもいたはず。

その人たちは自分の生きる時代で理由を知ることができなかった不幸者...とも言えるかもしれない。
もちろんアリストテレスの考えを真実と思いながら死ねたのであれば、それは不幸にあたらないとは思いますが。


その考え方に則るならば、いま僕は不幸なまま死ぬかそうでないかの岐路に立たされています。
僕が仕事の関係で「8」を眺めていた時のことなんですが...


8.png
ん?


8light.png
おい待てよ?


8circle.png
「ここ」なんだろう・・・?


そう、ふと「ここ」に着目したんです。
文字っていうのはほぼ唯一無二の存在ですから意味のない部分なんてないと思っているんですが、だとしたら不可解なのが「ここ」。
別になくたって8は表現できるのに、フォントや書き方によっては「ここ」が出てきます。


できるまで
この問いかけに現代技術が匙を投げた瞬間。


「ここ」にはどういう意味があるのか...理由を知らずに死んだら間違いなく不幸ですよね?
人間は最期くらい心おきなく逝きたいと願うもの。健やかな死を迎えるために仮説を立てていきます。

koko.png
「ここ」の全体予想図。



仮説その1 髪留め
hair.jpg
「ここ」で髪をまとめている、とする説。

8に限らず数字は人前に出ることが非常に多い。
となれば、身だしなみにも気を遣っていてもなんら不思議なことではない。
なぜ右側にだけあるのかといった異議もあるが、上図のような左側に凄まじい勢いで引き寄せられている髪であることも考えられないだろうか。

ただし「上にあるから頭であるという固定概念は幅を殺す」という意見もあり、それを踏まえたのが次の仮説。


仮説その2 親知らず
oya.jpg
「ここ」は親知らずである、とする説。

このでっばり方は歯茎から歪に生えてくる親知らずそのものである。
右側のみから生えていること、フォントによってあったりなかったりすること(親知らずのタイミングは人それぞれである)などに説明がつき、否定意見は比較的少ない。

しかしこの説は有力であると同時に、長く親しまれたアラビア数字の8を歯茎とみなす行為に相当するため、極めて慎重な議論を必要とする。

そのような「8自体の基本的な権利」にも配慮したのが次の仮説だ。


仮説その3 戸愚呂弟の肩
toguroorg.jpg
toguro.jpg
「ここ」は戸愚呂弟の肩である、とする説。

なにも装飾品であったりなんらかの症状でこうなっているとは限らない。
ちゃんとした体の部位であることも大いに考えられ、すなわち戸愚呂弟の肩である可能性も否定できない。

この仮説を通していくにあたっては8を戸愚呂弟とみなす必要が生まれるが、8はアラビア数字なので戸愚呂弟呼ばわりされても嫌な思いはしない。
8自体を尊重しつつ論ずることが可能なのだ。

だが一度原点に立ち返って考えてみるとそんなわけないため、論ずることが無駄という唯一の欠点を抱えてしまっている。

これら全ての仮説の問題点をクリアした最終的な仮説がこちらだ。


仮説その4 食べ物
「ここ」は何らかの食べ物である、とする説。

要するに8が食べ物を持っている状態を表しているのがこの形ということ。
これならば先入観はなく、8の尊厳を傷つけず、それなりにありえる

しかしここで、"食べ物"とは具体的になんなのか?といった新たな問題が浮上。
ここの調査さえ進めば一気に核心に近づくのだが、情けないことに先人たちは「ここ」の解明を怠ってきたため、2017年となった現在でさえいくら調べてもレビューすら出ない。

となれば仮説内の仮説にはなってしまうが...形から推測するしかない。
これまでの人生を資料にして最も形状の合致するものを導き出した結果、恐らくコーンフレークなのではないかと推測された。


ということで


kokoflake.jpg
「ここ」を作成し


flake1.jpg
添えて


flake2.jpg
食べ終えたのだが

コーンフレークか否かとかより食べ物で遊ぶのはやめようという気持ちが強く出てしまい、検証は失敗に終わった。


結局「ここ」が何なのかはわかりませんでした。
しかし、食べ物で遊んじゃいけないと思う自分がまだ生きていたことが確認できたので、成果物だけ見れば成功と言えなくもないんじゃないでしょうか。日曜日を返してください。
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